昭和42年03月13日 朝の御理解
様々な、色がございますが、様々な色も、何色と何色とが調和をするといった様な、調和色というのがありますですね。例えて申しますと、真っ黒い、真っ黒の黒と、緑色だったら最高に調和する色でございますね。同時にカーキ色と黒は、また非常に調和する色です。皆さん、それは、ひとつ、本当にそうだと、ご承知でもありましょうけれども、また、知りなさらなければいけない。
今日の御理解は、それだけですから。その意味も分かられると良いのです。真っ黒とですね、真っ黒と緑色。こんなに調和する色はありません。同時にカーキ色と、いわゆる、橙色。橙色と真っ黒、これがまた大変な調和を致します。実はそのことを頂くのですよ。皆さん、まぁずいぶん、あっちこっちで、みられたこともあろうと思いますね。真っ黒いのに、緑色で書いてある字なんか、実に、見事に調和致します。
ここの、磯の沢という酒屋がありますね。あそこが、色を必ず、橙色を使ってあります。橙色に黒でしてありますと、これが、とてもよく目立つ色であると同時に、調和致します。意味が分かるでしょ。真っ黒というのは、私は、苦労と。いわゆる、御道でいう、本当の修行と、こういう事と思うです。それに生き生きとした元気な心と思います。緑というのは。ここでは緑の色を、生き生きとした心とこう言います。
生き生きとした元気な心で、真っ黒い苦労に飛び込ませて頂けれる信心には、絶対の調和が約束される。絶対のおかげが約束されるということなんです。ですから、例えば、ひとつの悩み事とか、心配事といった様な時には、不安で不安でたまらん時にはです。まぁだ苦労が足らん。まだ修行が足らんのですよ。いうなら、生き生きとした心が足りんのですよ。一遍回りで足らんのですから二遍回りしなけりゃいかんのですよ。
こういう修行しよるなら、まだ心に不安があるなら、もう少し工夫して、次の修行に取り組まないけない時なんですよ。不思議にです、その不安がなくなるから不思議です。不安がなくなると言うことが、おかげ頂く元になるのですから。そこを教祖は、心配する心で信心せよとこう仰る。心配する心で、神様は一生懸命信心さして貰う、修行さして貰う。心配は、段々、段々、陰が薄うなってきて。
もうどっこいという安心が出来てくるんです。ままよという、どん腹が据わるのです。その心におかげが受けられるのです。同時に、いわゆる、橙色です。カーキ色に黒。これは力ーキ色は椛目的信心と言われております。橙色、カーキ色、もうこれは絶対です。ここで、ご信心のけいこをするならば、どうしても、私が教祖の神様のご信心を、そして二代様が、三代様が、そして私共の先達。
先輩の先生方が、そして久留米の初代が、善導寺の初代が、受け継ぎに継がれて、今日、私のところへ、その信心は、私が頂いておる訳ですから。実を言うたら、同じでなかならならんのでけれども、やはり、教祖の神様のご信心においても、当時の直信と言われなさった、御道の功労者でおありになるところの佐藤範雄先生と、佐藤宿老のことです。今の三代金光様の奥様のお父様に当たられます。
方やら、大阪の白神新一郎先生やら、やっぱり、大阪の難波の近藤藤守先生と言ったような、もう大変偉い、お徳を受けられた先生方がおられましたが。三人が三様に生き方が違われた。三人が寄ると、必ず口論だったそうです。けれども、道を思う止むに止まれん、その思いなのですね。それがいつも口論であり、喧嘩である。けれども、その喧嘩が素晴らしい喧嘩であり、素晴らしい口論である。
実にその結果に於いては有り難い。この三人の先生方が揃われた時にはね。教祖の神様が、上下揃うた。と言うて、喜ばれたと言うことでございます。お伝記に載ってあります。自分の思う通りの氏子というのじゃないのです。三人三様のという意味合いにおいてです。私の信心は、そうした、例えば、初代、先輩、または、善導寺の信心を、こうやって、私が、頂いておりますけれども。
私、善導寺の親先生にいつも申し上げるんです。親先生、私の信心と善導寺の信心は、まぁ赤と青、赤と白ほど違います。どちらが良い、悪いというのではないです。だから、ひとつ間違うと、いわゆる、紅白合戦のごとある感じがあるんです。けれども、これが調和を致しますとです。さっきから調和とということ。紅白というのは、非常に調和する色です。
けれども、別れますとですね。お前は椛目、おれは善導寺という風に別れますとです、いわゆる、これは、にらみ合いの様な感じになります。紅白合戦です。ところが、一つが、ひとつになるとです、このくらい調和する色はないです。それはちょうど、紅白の鏡餅のようなもんだと私は言うんですよ。ぴったり、その、鏡餅が紅と白との鏡餅が、こう素晴らしい様にです。
私と善導寺とは、そういうふうに、例えば、その信心、教祖の神様の御信心ではあるけれども、言うならば、生き方というのが善導寺的であり、椛目的でなのです。その椛目的な信心の表現を、橙色で頂く訳なんですね。ですから椛目的信心なんです。椛目的信心というのは、非常にその、華やかであったり、積極的ですね、非常に。又、ほんなら、どういうような、それが、内容の修行をもっておるかと言うと。
何時も、私が申しますようにね、桜と梅と柳をひとつにかき混ぜたような感じなんです。この信心が椛目的信心なんです。ですから、おかげも桜の花のようないわば、華やかおかげが受けられることは間違いないです。それには、素直な素直な柳の信心がいるのです。それにはもう本当に、泣く泣くでも辛抱し貫かして頂くという、梅の信心がいるのです。梅の薫りを桜に持たせ、しだれ柳に咲かせたい。
これが椛目の信心の、いわば、色なんです。椛目的なんです。そういう私は信心を、身につけていかれるなら、もう絶対のおかげが約束されるです。それは、カーキ色と黒が調和するようにです、今日はその二つ事を頂くんですよね。緑色と黒色黒色とカーキ色、もうこれなら、絶対の調和だということなんです。拝み合うように調和なんです。もうその中に溶け込んでしまうように調和するんです。ですからどうぞ皆さんがです、椛目に通われるならば私の信心をまずひとつマスターして貰わなきゃいけない。
体得して貰わなければいけない。こう言う時には、親先生ならどうされるだろうかと。どう言われるだろうかと。どう思われるだろうかと言うことをです。やはり検討、それが、あながち、立派とは申しません。けれども、椛目的おかげが約束される事だけは間違いないです。という事と同時に、どういう難儀に取り組んでおりましても、それが難儀と感じ、不安と感じ、心配であるならばです。
まだ修行不足であると悟らせて貰うて、それこそ、真っ黒な修行をさしてもらわなければいけません。そこに生き生きした心と、その黒と緑色がぴったり調和する。これなら絶対約束されるのがおかげなのです。もちろんお徳なのです。お徳を受けていくために、おかげを受けていくために、このことを皆さんが心の中に、しっかり頂いておられるとです、椛目的信心が出来ると同時にです。本当にお徳が受けていけれるとこう思うのです。
どうぞ。